2007年 12月 30日
1980年代
NSR250
ホンダ・NSR(エヌエスアール)は、本田技研工業が製造していたレーサーレプリカと呼
ばれる2ストロークのオートバイである。「New Sprinter Racing」の頭文字をとって
車名とした。排気量別に数車種が製造されていたが、現在はレーサー車種を除き販売は
終了している。
かつて1980年代はレーサーレプリカ全盛期、私は高校生、そのころはホンダ、ヤマハ、
スズキ、カワサキ4大バイクメーカーがレーサー2サイクルエンジンの開発にしのぎを
削っていた。'80年代は技術的な進歩が著しい年代で、以前は空冷エンジンが常識で
あったが、エンジンパワーが上昇するにつれてエンジン発熱量の上昇も伴い、必然的に
「水冷化」が進んで行く。特に2サイクルエンジンに関しては、'80年代は劇的な進化を
遂げる時代であった。特にホンダは世界GPにおいて常にトップの成績を刻んでいる状況
だったのでホンダが一般ユーザーに提供するNSR250というバイクは私も含め峠を走る
走りやの憧れの存在。
87NSR250R
88NSR250R
89NSR250R
90~93NSR250R
94~99NSR250R
ホンダ・NSR(エヌエスアール)は、本田技研工業が製造していたレーサーレプリカと呼
ばれる2ストロークのオートバイである。「New Sprinter Racing」の頭文字をとって
車名とした。排気量別に数車種が製造されていたが、現在はレーサー車種を除き販売は
終了している。
かつて1980年代はレーサーレプリカ全盛期、私は高校生、そのころはホンダ、ヤマハ、
スズキ、カワサキ4大バイクメーカーがレーサー2サイクルエンジンの開発にしのぎを
削っていた。'80年代は技術的な進歩が著しい年代で、以前は空冷エンジンが常識で
あったが、エンジンパワーが上昇するにつれてエンジン発熱量の上昇も伴い、必然的に
「水冷化」が進んで行く。特に2サイクルエンジンに関しては、'80年代は劇的な進化を
遂げる時代であった。特にホンダは世界GPにおいて常にトップの成績を刻んでいる状況
だったのでホンダが一般ユーザーに提供するNSR250というバイクは私も含め峠を走る
走りやの憧れの存在。
87NSR250R
88NSR250R
89NSR250R
90~93NSR250R
94~99NSR250R
by unten19
| 2007-12-30 22:13
| バイク